『第六回国際宝飾展』を1ヶ月後に控えた1月17日。阪神・淡路大震災により、出展を予定していた真珠メーカー二十社のある神戸の街も、甚大な被害を受ける。この二十社の出展は絶望的に見えた。そんな中、リードの担当社員は「慰問に行かせてください」と当時の社長・石積に直談判。交通事情がわからないからと自転車をかつぎ、なにか役に立つものをとカイロとお見舞金をもって、震災の数日後、東京から神戸に向かった。瓦礫の山の中、自転車で各出展社を訪問。驚かれると同時に、「震災のダメージを吹き飛ばすためにも、来月の宝飾展には絶対に出展したい」という声もいただいた。実際、二十社のほとんどが出展を果たし、国際宝飾展は魅力を欠くことなく開催することができた。
その後、リードは神戸の復興に少しでも役に立てれば、という思いで、『神戸国際宝飾展』の開催を決定。当初は、余震の可能性もあり危険というイメージのついた神戸に海外メーカー・バイヤーを呼ぶことに多大な時間と労力を要した。また、地方での見本市開催を不安視する声もあったが、開催初日から予想をはるかに上回るバイヤーが押しかけ、商談も活発に行われた。その後も、毎年出展社数を伸ばしながら開催を続け、神戸の街に大きな経済効果をもたらしている。出展社に寄り添った素早い行動が、見本市の成功と発展につながることを示した出来事だった。